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ひいなの隠れ里 大石田



江戸時代、山形では紅花の栽培が盛んに行われ、最上川舟運、北前船により京都や大阪まで運ばれ、口紅や染料として大変重宝されました。

最上川舟運の最大の中継地であった大石田には多くの紅花が集められました。 この舟運により大石田は、上方との文物の交流が活発になります。

京都・大阪からの帰りの舟には、紅花で染められた着物を身にまとった優美なおひなさまも乗せられていました。 大石田にはそれらのお雛様を各家庭で飾り付け、子供たちが見て回るという「おひなみ」という風習がありました。



金山平三「ひなまつり」



この絵からもわかることですが、大石田のお雛見は、外にあまり例のない行事で、この日ばかりは老若男女身分や立場にかかわりなく、誰でも飾られた旧家の土間から拝見してまわる行事でした。

おひなさまには、春を告げる魚「かど」(ニシン)をはじめとして、くじら餅など色とりどりのお菓子がお供えされています。 「お人形みせてけらっしゃい」 と、子供たちが来ると、お菓子などが振舞われ、皆で楽しんだそうです。

その時代の「享保雛」や「古今雛」は、今も大切に守り継がれています。


現代では「大石田ひなまつり」として、おひなさまを持つ家々が自宅で展示をする「おひなみ」が復活しましたが、コロナ禍により近年は中止が続いております。 コロナ禍以降は、大石田町立歴史民俗資料館での展示や抹茶席の開催、「聴禽書屋」での和琴の演奏会が行われております。 ひな祭りの最新情報は大石田町役場ホームページでご確認ください。


大石田のひなまつりで舟運文化の歴史とロマンを感じてみませんか?



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